高松市議会 2020-12-10 12月10日-03号
過去に高松市長の損害賠償責任が問われた事例では、1997年当時の増田市長が、高松市郷東町の食肉センター建設に絡んで地元漁協に支払った5億5,000万円の漁業補償裁判です。市民オンブズ香川のYさんが、根拠のない違法な支出だとして市長に全額を市に返還するよう求めました。
過去に高松市長の損害賠償責任が問われた事例では、1997年当時の増田市長が、高松市郷東町の食肉センター建設に絡んで地元漁協に支払った5億5,000万円の漁業補償裁判です。市民オンブズ香川のYさんが、根拠のない違法な支出だとして市長に全額を市に返還するよう求めました。
高松市役所とのかかわりは、通算31年という長きにわたり、脇市長・増田市長・大西市長にお世話になりました。 市議会にあっては、2017年、教育民生常任委員会において、委員各位の御支援・御協力を得て、市域全小学校5・6年生の全教室に電子黒板の設置を実現できたことは、最大の喜びとするところでございます。
市長は、平成19年5月に高松市長に就任され、前増田市長が難産の末なし遂げた周辺6町との、いわゆる平成の大合併を実現した新生高松市のかじ取りを任され、早くも12年目、市長として現在3期目の最終コーナーを着実に走っておられます。これまで、合併町と結んだ合併協議に基づく膨大な建設計画に、誠意と熱意を持って着実に取り組んでいただいていることに、合併町の市民は安堵しており、感謝と敬意を表します。
また、増田市長・真鍋知事のとき、専門家の反対を押し切って線引きを廃止し、拡散型都市にしました。この点について、私は何度も質問しました。 線引きの廃止など、過去のまちづくりについての見解をお伺いします。 そこで、将来の人口減少時代、2025年問題に対処するのに発想を転換すると、高松市は全国一の優位性を持つ地域です。
そうした中で、高松市は増田市長の時代に、一般廃棄物を処理するための候補地として、旧塩江町が受け入れをしてくれた経過があります。
平成15年の第4回定例会において、文化庁の協力は得られると思いますので、復元の見通しはあると考えておりますと、さらに、同年12月定例会の代表質問で、研究者らによる検討委員会を設置し、市制施行120周年、平成22年度の着工を目指す旨、当時の増田市長は答弁をされました。
脇・増田市長時代から福祉都市を掲げ、事業所税がスタートしたとき、地域経済活性化という市政の大テーマを捨て、製造業・工場等の追い出し政策を展開し、タダノを初め多くの工場が市外に移転し、働く場を減らし、地域経済を弱体化させました。高松市は40年の間で製造業は60%減少し、高松市と松山市の工業製品出荷額は当時同じぐらいだったが、現在では600億円ぐらいの差になっていると伺っております。
高松市男女共同参画センター──当初は、高松市女性センターで2006年4月1日に名称変更は1995年8月1日、増田市長──同年5月就任のときに開館されました。実際は、脇市長のとき、女性の人権が尊重され、自立と社会参画を促進し、男女平等と男女共同参画社会の実現のため、女性が気軽に使え、集える活動・交流拠点として、女性団体や個人が強く市に働きかけて粘り強い長年の運動によりつくられたとお聞きしております。
前増田市長が本市の将来を見据えて近隣6町と平成の大合併に取り組まれ、賛否両論ある中、激論を交わし、紆余曲折を経て1市6町の大合併を実現され、その後を大西市長が引き継ぎ、現在に至っております。 また、人口42万人を擁し、375平方キロメートルと広大な中核市高松の首長として、合併後の市民が合併してよかったと実感できるような市政運営に日夜御努力いただいておりますことに感謝し、敬意を表します。
まず、第1点は、平成15年9月定例市議会において、当時の増田市長が、市制120周年に当たる平成22年には天守閣の復元工事に着手したいとの見通しを述べておられましたが、このことが今日まで実現していない点についてであります。
本市は、6町と合併後、当時の増田市長、そして、現在の大西市長以下、市議・当局職員諸氏の誠実で真摯な取り組みにより、厳しい財政事情の中ではありますが、各町の合併事業が目に見えて具体化されてきていることに感謝しております。
2003年、当時の増田市長の態度は、関係住民の理解を得られないでありました。しかし、2008年の三木町との覚書以降、市の態度は、新川に放流することについて認める態度になっています。 市長は、平成19年の日本共産党の下水処理場建設の認識を問うた質問に対して、本市の水源である新川の水質保全を図るため重要な施設と認識しており、水源汚濁防止の観点から、排水基準の遵守などを内容とする覚書を締結している。
当時、増田市長からの御答弁として、災害など特別なときには相互応援制度を活用しており、今後とも、組織にとらわれない柔軟な人材活用に配慮するとの答弁がありました。
増田市長は、2003年の9月議会において、「この下水処理場が内陸部に建設されること、また、水道水源として取水している新川上流域において下水処理水が放流されることから、三木町が計画する公共下水道の整備については、関係住民等の幅広い合意形成が必要不可欠であると認識しており、現計画では、到底、関係住民の理解は得られないものと存じます」と答弁しました。
2001年──今から7年前、高松南警察署──以下南署と略させていただきます──周辺の自治会長や水利組合長が、南署跡地利用期成会(準備会)を結成し、南署が何年か先に移転するとのことで、南署の土地の所有権は高松市にあるため、2001年3月19日、当時の増田市長に、高松南警察署の利用に関する陳情書を提出しています。
さらに、その上で議員は、将来、「焼却処理からバイオマス処理に積極的に対応を検討する必要がある」と述べており、当時の増田市長に、本市としてのバイオマスタウン構想に参画の意向の有無が質問されております。
昨年の6月議会、我が党のマンションに関する質問に、増田市長は、建築主等に対して説明範囲などを確認し、説明が不十分な場合は再度説明するよう指導している。説明実施報告書が提出される前に住民から説明の要望がある場合には、今後とも現場の確認も含め、適切に対応していく。大規模建築物等の誘導基準に高さ制限を入れる考えについては、今後研究してまいりたいと答弁しました。
3期12年にわたりまして、高松市政のかじ取り役として、近隣6町との合併を実現するとともに、サンポート高松の整備を初めとする都市の再生に積極的に取り組まれるなど、数々の功績を残されました増田市長の後を受けまして、去る5月2日、高松市長に就任をいたしました。
さて、増田市長におかれましては、今任期をもって市長の職を退かれるわけでありますが、3期12年にわたり市政を担われ、その間、中核市移行、また、周辺6町との合併の実現など、高松市勢発展に大いに寄与されました。改めて、ここに謹んで、これまでのたゆまぬ御努力、御苦労に対し深甚なる敬意を表します。
そこで、私は、できることなら値下げだけでも、無料というのはいけないけれども、値下げだけでもという考えをいたしたんですが、この際、増田市長さんの、これまでの合併協議会の中でおつき合いさせていただき、教えていただき、また、考えさせていただいた点から考えて、この湯船を全面的に改装するか、あるいは、ちょうど元の町民体育館の下に自転車置き場が、勝賀のおふろが、すっぽり入るぐらいの広さがございます。